大学の講義での疑似翻訳家体験
英文学科を出ています。4年間勉強すればかなり英語ができるようになるのでは、という甘い気持ちで入学しましたが、語学はそんなに簡単に身に付くものではありません。現在はオンラインでの話し方研修を受講したり、オンライン英会話スクールで勉強を続けています。自分が本などを翻訳することになったら、私ならまず自分が読んで面白かったなと思う原書が洋書である本を引っ張り出しますね。
何故なら、私は翻訳で読みにくいと感じた本がいくつかあったからです。そういう訳し方ではなくて、自分が好きな訳し方を真似してみたいのです。例えば、私は男の子が主人公の本で、一人称が「俺」となっているものが好きです。本ではなぜか「僕」を使っている日本の小説も多いですが、実際には仕事など、少し改まった世界でないと自分のことを僕と言う人は少ないからです。だから現実味がなく、これは小説の中の話だ、とどこか冷めた目で見てしまうことがありました。
また、女性の場合は「私」なら良いのですが、「あたし」とあると私はどうしても志村けんを思い出してしまう病気を持っているので本に集中できません。そういう理由もあって、翻訳するならまず一人称をどうするかというのはかなり重要な問題だと思っています。これによって読者が減るかもしれないのです。
英語を読むのも苦手な方ですが、3年生の時に受講した英文学の小品を読む講義は今も印象に残っています。講師の先生は、教材として必ず日本語の翻訳が出ていない小説を選ぶので、学生は自力で訳すしかありません。授業ではパラグラフごとに当たった人が和訳をするのですが、個人的に訳して提出したものもきちんと添削して返却してくれました。
とても丁寧にコメントも書いてくれるので、私は毎回提出するようになりました。直訳ではなく、翻訳風にちょっと工夫して訳してみたりすると、「うまい!」とラインを引いてコメントしてもらえたこともあり、とても励みになりました。私の文体が原文によく合っていると褒めてもらったこともあります。
とはいえ、翻訳家を目指すほどの気概はなく、疑似翻訳家体験はこの1年で終わってしまいましたが、よい翻訳には日本語の語彙を広げる必要があるということを実感しました。また、読者を想定して訳すことの楽しさも少し味わえた気がしています。
Comments are Closed